マリリン・モンロー:男性にも女性にも憧れられたハリウッドスター

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A person loses what every time is. Still we have to keep living, would it be so?
(人はいつだって何かを失っているのよ。それでも私たちは生き続けなければならない、そうでしょう?)
ーMarilyn Monroe マリリン・モンロー

こんにちは😊ブロガーのMieです。
また今年も梅雨シーズンに突入しましたね。みなさん梅雨対策はできていますか?
私は自転車で仕事場に通勤しているので、この先1ヶ月以上自転車でいつもの景色を見ながら通勤できないと思うとおっくうです。。
何か楽しみを作りながら梅雨シーズンを乗り切りたいです☔️⛅️

さて、今回のブログは世紀のセックスシンボル、Marilyn Monroe(マリリンモンロー)についてです!
名前は聞いたことがあっても、彼女の生涯について、どんな女性だったのか、なぜ世界中の男女を魅了し、「セックスシンボル」として知名度を得たのか、亡くなって60年立つ今でも様々なアートやハリウッドのシンボルとなっているのか、知らない方は多いのではないでしょうか。

なぜ彼女が特別な存在だったのか、紐を解いていきましょう✨
男性のみならず女性をも魅了した彼女に見習い、学べることがあるかもしれません❤️

マリリンモンローの生涯

1950年代のセックスシンボルであったマリリン・モンローは、1926年6月1日にカリフォルニア、ロサンゼルスで生まれました。マリリンという名前は芸名で、彼女の本名はノーマ・ジーン・モーテンソンでした。彼女は片親家庭に生まれました。
幼少期のほとんどを孤児院と里親とで過ごし、第二次世界大戦が終結した1945年、マリリンは19歳の誕生日を迎えて間もなくのこと、その当時働いていた工場で、陸軍の報道部員に取られた写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にピンナップモデルとして人前へ立つキャリアをスタートしました。

モデルとしてのキャリアを積んでいく中で、、のちにハリウッドエージェンシーの20th Century Foxのスクリーンテストに合格し、女優へとキャリア転換をします。
そして、様々な映画で当時のアメリカの美人で典型的な「金髪美女」(Blonde bombshell ブロンド・ボムシェル)の役を演じ、初めはその容姿と魅惑的なボディーで人気が出ました。しかしマリリンは自分の容姿よりも演技派の俳優として評価されることを望み、努力を積み重ね演技力を磨き、その後実力派のハリウッド女優として評価されるようになりました。そして1950年代には、最も人気のあるセックスシンボルの1人になり、36歳で睡眠薬の過剰摂取により他界した後も大衆文化のアイコンとなり、死後60年が経過した現在も数多くのアート作品や映画の題材となっています。

彼女の代表作には、『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』などがあります。
人気絶頂期、マリリンのその可愛らしい笑顔にアメリカ中が夢中でした。
しかし孤児院で育ち、早く自立したマリリンは、生涯寂しがりやだったと言います。
マリリンの一番初めの結婚は彼女が16歳の時でした。生涯で彼女は3回結婚し、離婚を経験しました。子供はいませんでした。

努力家だったマリリン

ピンナップモデルとしてキャリアをスタートさせ、いつしか、自身の容姿よりも演技力を評価されたいと願ったマリリンは、彼女の努力によりハリウッドの売れっ子へと成長していきましたが、彼女がもらう役はいつも「金髪のバカな美人役」でした。

努力家のマリリンは、自分の演技力をあげようと、俳優養成所へ通い、ひたすら演技を学び練習し、「モンローウォーク」が有名になった『ナイアガラ』という映画や、地下鉄の通風口の上で白いスカートがふわりとひるがえる「七年目の浮気」などで大スターの地位に上り詰めました。その後も彼女の地道な演技への努力を怠らず、大スターになった後も、ニューヨークの名門演技学校、アクターズ・スタジオで練習を重ねていました。その努力が実り、1959年にはアメリカのテレビジョン及び映画を讃える「ゴールデングローブ」にノミネートされ、主演女優賞をもらっています。アメリカの映画界でこの賞をもらうことは、とても名誉なことです。

女優になる日を夢見ていた下積み時代は特に苦しい時期でした。
ハリウッドの大手、20th Century Foxのスクリーンテストに合格はしたものの、契約は約1年で打ち切られてしまいます。女優に憧れながら、ハリウッドでヌードモデルや時々はコールガールをしながら生活していたと言われています。

また、世間が自分の体や容姿を高く評価していることに気がついたマリリンは、そのボディをさらに魅惑的に見せるため、トレーニングや毎朝のジョギングを欠かさず、『人体解剖学』という書物まで読み、自分の体の骨格、筋肉、ポージングまで研究を重ねていたといいます。
華やかな世界で活躍していた彼女の素顔は、とても真面目で努力家でした。

マリリンの言葉

36歳でこの世を去るまで、短く濃い人生を歩んだマリリン・モンロー。
世界中の男女を魅了し、今でもハリウッドのアイコンとして忘れられることのないマリリンの名言を集めてみました。
女性として、目標があるものとして、働くものとして、いくつか学べることがあるかもしれません😊

We are all of us stars, and we deserve to twinkle.
誰もがスターなのよ。みんなが輝く権利を持っている。

It was determined that I’d like to become an actress. After that, I thought I made sure that there will be no cases that my own chance is filled up with that there are no confidences.
私は女優になりたいと決心してから、自信のなさが私のチャンスをつぶすことがないように気をつけたわ。

True charm is something born by the womanhood.
本当の魅力は女らしさによって生まれるものよ。

Keep smiling, because life is a beautiful thing and there’s so much to smile about.
人生は素晴らしいものだけどそれについて微笑むことは少ない。だから笑い続けましょう。

When you sleep, you’ll sleep wearing only Chanel No.5.
眠るときは、シャネルのNo.5だけを纏って眠るわ。

A career is wonderful, but you can’t curl up with it on a cold night.
キャリアって素晴らしいもの。でも寒い夜にそれに寄り添うことはできないの。

I don’t stop when I’m tired. I only stop when I’m done.
疲れたからといって辞めはしない。辞めるのはやり終えた時だけよ。

いかだでしたでしょうか😊

華やかな世界で活躍していたマリリンの素顔は、努力家で寂しがりやで、大きな夢を持つ、普通の女の子でした。
大スターになった後でも努力を惜しまない姿は、とても尊敬しますよね。

それでは、また次回のブログでお会いしましょう!

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PROFILE

Mie Hamada
Mie Hamada
幼少期から多くの海外旅行を経験後、16歳の時1人でカナダバンクーバーの高校へ留学。
その後カリフォルニア州立大学ノースリッジ校アパレル科に進学、理科学士を取得し2019年卒。観光とショッピングが趣味。着ない洋服を買い集めるのが特技。
現在東京にてブログ中。365日頑張って続けます。